「この世界の片隅に」を観た感想と考察 生活の営みの喜びと楽しみ



■ストーリー


舞台は太平洋戦争前後の広島と呉。絵を描くことが好きな、少しお間抜けな主人公すずさんは子供の頃に一度会ったことがあるという人の家へ嫁ぐことになる。嫁ぎ先は呉という街で、東洋一の軍港と言われ、旦那の周作さんを含む多くの人が軍関係の仕事をしている。

そんな街で嫁ぎ先の生活に戸惑ったりしながらも普通の日々を普通に楽しく生活しているが、戦争が激化するにつれ、軍事上重要な拠点でもある呉の街は度重なる空襲を受ける。普通の人の戦争中の生活を丁寧に描いた作品。


■感想


この作品では反戦のメッセージは少なく、生活営みの喜び、楽しみに焦点を当てている作品。
平和な現代に生きる我々と同じように、ご飯を作り、買い物に行き、談笑し、すやすやと眠るシーンを見ていると、今と変わらないんだなぁと感じた。



劇場で絵コンテ集を買ったので、読んでみたのだが、事前調査がすごく細かい。モブである街の人も細かく調査し実在の人物を描いているのだからとんでもない。街や人を当時の写真を元に、地元の人にインタビューして作り上げているので当時の広島・呉の街並み、人、戦時中の生活、武器・災厄の描写が超リアルなものになっている。
リアルな街で、自分と同じような生活をする人々を見ているうちに、すずさんの家族として、一緒にちゃぶ台を囲んでいるような気分になってくる。

よくある、戦争を扱った作品では戦争は良くないものとして、ひたすら苦しい描写をするが、この世界の片隅にでは、生活は苦しいけれど、工夫を凝らして一生懸命生活を楽しんでいる描写がとても多い。ギャグシーンも多いので、戦争の不穏な空気は感じつつも、つい笑ってしまう。
特に印象的なのは、野草を摘んで、鍋に入れるときにバイオリンを弾くみたいな仕草をするシーンで、すずさんはいつもニコニコ楽しそうで、生活の尊さを感じずにはいられなかった。あぁ、毎日ご飯が食べれて、すやすや眠れて幸せだなぁと、当たり前になって忘れてしまった幸せを再確認するのだ。

■この世界の片隅にのタイトルが出たときにタンポポ。


映画評論家の町山智浩がラジオで語っていたのだが、これは「この世界の片隅に根を張って生きている」という意味があるそうだ。
これを聞いて、この映画で感じた感情は、この世界でひっそりと生活しているだけなのに、不条理がそれすらも許してくれない苛立ちとか悲しさなんだなと分かった。

しかし、土いじりをする人はわかるだろうが、タンポポの根は深く、抜いても抜いても同じ場所にまた綺麗な花を咲かせる逞しい生命力を持っているのだ。我々の生活もまた、タンポポのようにたくましく、美しいものなんだよというメッセージにも感じた。

また、黄色いタンポポと白いたんぽぽが一緒に咲いている。
これは劇中でスズさんと、周作さんが畑のタンポポを見て「どこかからとんできたのかも」と言っており、周作さんと、遠くから綿毛みたいにフワフワ飛んできたスズさんが一緒に根を下ろしているという意味だと思う。

■なぜ泣けるのか?


映画の大部分で描いているのは、日々の生活のシーンだ。
ご飯を食べて、布団で眠って、談笑する。
当たり前の普通の風景を丁寧に描くことで観ている人に、生活の喜びや楽しみを気づかせる。
そしてその「当たり前」が戦争によって奪われることで、すぐそこに幸せはあって、大切にしなければいけないものだったのだと考えさせるのだ。
そして、戦争が終わり、徐々に「当たり前」がもどってきたとき、街の明かりを見ながら、「あぁ、大切なものが返ってきたんだ」という安心感がわたしを泣かせたのではないだろうか。


~~ここからネタバレ含みます。鑑賞してから読むことを強くおすすめします~~


■すずさんにとって絵を描くという行為


すずさんは困ったことがあっても「こまったねぇ」とのんびりしている人で、監督のインタビューによるとあまり自分の気持ちを表に出さない人なのだそうだ。

その代わり、絵を描くことで自分の気持ちを表しているらしい。
自分の気持ちを絵に描くことで発散させようとしているのだ。

幸せな時も、辛い時も絵を描くという行為はすずさんの中にあり、空襲の時、晴美ちゃんと右手を失った時のような激しいストレスを感じた時にその風景を絵にしたイメージが描かれている。

ただ絵が描ければ幸せだったのにそれさえも戦争は奪っていく
右手を失い絵を描けなくなってしまったすずさんは、笑わなくなり、苛立ちと苦しさを必死に抑えているような表情に変わる。観ているこちらも辛い。

しかし右手を失ったことで、気持ちを代弁する絵の代わり、自分の感情を口や表情に表すようになり、戦後少しずつ平和がもどるにつれて笑顔を取り戻していった。
感情のはけ口が、絵という自己完結の世界から、信頼できる家族や知人に変わったのかな?

■敗戦が決まったときになぜすずさんは怒ったのか

国の「決意」に対する失望と、死んだ人への手向けが出来ない悔しさがすずさんを怒らせたのだと考えている。

敗戦までのすずさんの心は、3段階で移り変わっていく。

1.戦争が始まった当初
戦争の空気を感じながらも、特に戦争への「決意」は薄かったのではないだろうか。
楠公飯を作ったり、隣組の仕事をしたりしているすずさんはいつもにこにこ笑っていて、日々の生活を楽しんでいるように感じる。

2.空襲の激化晴美ちゃんと右腕を失うまで
晴美ちゃんを守れず死なせてしまい、自分の居場所が無くなってしまったと感じ、戦争から逃げ出したいと考えているシーンが出てくる。

a.広島から訪ねてきた妹と会話しながら、心の中で「歪んでいる」と独白しているシーン。
広島の平和な生活を羨ましがっていることがわかる。
また、「お兄ちゃんが死んでいてよかった」と言った後にも「歪んでいる」と続けている。自分が広島に戻っても自分を叱る人がおらず、都合が良いと考えてしまった自分に自己嫌悪している。

b.白鷺を追いかけるシーン。
「そっちへずうっと逃げ!山を越えたら広島じゃ」と叫びながら広島の故郷の回想が流れる。
白鷺は子供の頃暮らしていた江場でよく見た鳥で、自分と白鷺を重ねているように感じた。

3.原爆の投下まで
反転して、呉で生き続けようと決意した。なぜそうななったのか。

a. 戦闘機の機銃から自分を守る周作さんを抱きしめ返しており、口では広島に帰るといいながら、自分が周作さんから愛され、自分も周作さんを愛していたことを思い出し、心が揺らいだのでは。
逃げ出したいけど、ここには周作さんがいる。
喧嘩しながら必死ですずさんを守る周作さんはかっこよかった!

b.そしてとどめに、広島に帰る当日、径子さんから「すずさんの世話くらい気にせん。すずさんが嫌にならん限りすずさんの居場所はここじゃ」と言われ自分が北条家での暮らしが嫌じゃなかったことを思いだし、居場所を認めてもらえたことで、自分の大切な人達がいるこの場所こそが自分の居場所なのだと、呉に残ろうと決めたのないだろうか。

その直後広島に原爆が投下される。

広島から飛んできた障子戸を取るシーンで、「うちは強うなりたい。優しうなりたいよ。この町の人みたいに。そんとな暴力に屈するもんかね」と言っている。
絶対に戦争から逃げない、負けないと「決意」するシーンだ。
このときすずさんは戦争で失ったモノのためにも戦争に勝つぞ、と考えていたのではないだろうか。

戦争で勝つことが両親や、晴美ちゃん、右腕の手向けだと考え、暴力に屈しないぞと決意をしたのに、原爆の投下とソ連の参戦により、あっさり日本は降伏してしまった。

今まで、お国のために最後の一人になるまで徹底抗戦するのだと自分たちに言ってきたのに、決意を強いてきたのに、原爆で街が壊滅しただけで降伏するのはどういうことだ?そんなことは覚悟の上で戦争していたんじゃないのか?と。

あっさり降伏する程度だった国の「決意」に失望し、戦争に負けてしまったら死んだ人に手向けが出来なくなってしまった悔しさが、「あの」すずさんに「まだここに5人もいるのに!まだ左手も両足も残っとるのに!」と言わせたのではないだろうか。

■当時の空気


「お国のために」という空気に触れたので考えてみると、今では戦争は良くないものと考えているが、当時の人は勝つために、自分も我慢して頑張ろう!というのが当時の普通の考えだったのだろう。

戦争は嫌だなぁと思っていても、当時は今ほど豊かでなく、周囲と協力しないと生活がままならない時代で、そんな空気の読めないことを言ったら、生活できないというのがあったのかなと思う。

で、空気に同調するというのは、今を生きる我々の生活にも共通部分があると思う。
仕事したくないけど、同僚たちも頑張ってるし頑張らないとなぁとかあるんじゃないかな?

我々が社会の中で、みんなで頑張らないとどうしようもない状況にある時、我々はその場の空気に同調せざるをえないのではないだろうか。

それは、悪いことではなく、良いことでもない、ある種の生きる上で仕方のない知恵なのかもしれない。

■ここが好き!
・スズさんの「ありゃ~>∀<」というやっちゃったなー笑顔がとてもかわいらしい。わたしもこんなお嫁さんが欲しい!
・戦死したお兄ちゃんが、鬼いちゃんになってスズさんと周作さんを結びつけたというオチがとても素敵。
・ご飯を作る・食べるシーンが楽しそう。
・天井の模様を自分も子供の頃なぞったなぁと思い出した。
・声優の演技、演出、絵、全てが完璧に織り合わさって凄い。

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