映画「聲の形」を観た感想 「将也が最後に泣いた理由の考察」

聲の形を観てきました。
見終わった後、「何か」を心のなかに残されたのですが、それを明文化したいと思ったのでこのブログでまとめてみます。
とても良い映画なので、是非劇場で見てほしいなと思います。
(2016年9月23日 追記)
初日に観に行った後ずっとモヤモヤしていて、いてもたってもいられなくなり二回目を見てきました。
新しい発見や、一度目と考察が変わった部分がありますので一部修正します。


■ストーリー

ガキ大将だった石田将也は転校生の耳の不自由な少女西宮硝子をイジメてしまいますが、それが原因で今度は自分がクラスからイジメの対象にされてしまい、2人は分かり合えないまま、硝子が転校してしまいます。
心に負った傷や罪悪感は癒える事なく広がり続け、高校生になった翔也は、ある理由から
硝子に会いに行く事を決意します。


■感想

聲の形見て自分の中の嫌いな自分と向き合うことを考えさせられました。

弱い自分とか、卑怯な自分とか。嫌いな自分を真っ正面から受け止めるのはとても痛くて苦痛です。
普段我々は嫌な自分を見ないように隠して遠ざけていますが、大切な人を思った時にどうしても向かい合わなければならず、そのため登場人物達は真っ正面に傷つきながら進んでいきます。

だからワンシーンワンシーンがとても痛いんだけど、それが突き刺さってしまうのは、観ている自分の嫌いな所を否応なく意識させられるからだと思います。
映画の中で、登場人物達と同じように傷ついていく。一緒に傷ついて、苦しんで、どうしたら良いか模索させられるからこそ、ラストの「君に生きるのを手伝ってほしい」という将也君の答えに感極まったのだと思います。
人の心の奥底をぎゅっとわしづかみして来る映画です。
こうして感想を書いてる今、必死に押さえ込まないと込み上げてくる感情の渦に飲まれそうになっています。

■将也は何故最後に泣いたのかの考察。

※超ネタバレです。鑑賞してから読むことを強くお勧めします。

・伝えたいけど伝わらない。

この映画は相手への気持ちが上手く伝えられないことから始まります。
相手への興味が形を変えていじめに発展したり。
耳が聞こえないことから来る物理的に伝えることの困難さや、
自分の気持ちや相手と対等に向かい合えない等の精神的なディスコミュニケーションとか。
それで相手に誤解されたり理解されなかったり、自分を追い詰めていくことになります。
それがグサグサ突き刺さるので観ていて辛いシーンもたくさんあります。

・「聲」は「しょう」とも読める。

硝子は耳が聞こえません。それが原因で家族や友人に迷惑をかけていると思っています。
また、将也も自分を生きていてはいけない人間と考え、両手で耳を塞いで、他人の顔を見ることができません。
二人共自分は世界にいてはいけないと考えており、二人とも世界が聞こえていないのではないでしょうか。

・自分は世界に存在してはいけないと言う罪悪感。

二人共、自己評価が低く、加害者意識が強いので、劇中「ごめんなさい」とよく言います。自分が嫌いで、自分がいると周囲に迷惑をかける。だから生きていてはいけないと考えているのが伝わってきて観ていてとても辛くなります。
硝子が必死にごめんなさいと謝るシーンはもうやめてくれよ…ってば気持ちで観てました。
そんな二人なので、二人とも自殺をはかるわけですが、翔也は冒頭で母親に泣いて怒られ、自分が死ぬことで悲しんでくれる人がいることに気づかされます。
自分が迷惑をかけていると思っていた家族や友達が、実は自分が生きることを望んでくれていて、それが彼が自分が「死んではいけない」理由になったのです
ただそれは生きたいと思う理由ではありません

・事故の後の硝子の行動

事故の後、硝子が離れ離れになった仲間たちをもう一度繋ぎなおしに行くのは、将也が築いてきたものを自分が壊してしまった罪悪感からの贖罪で、自分のせいで大怪我を負ってしまった将也への償いです。
だからそれを必死に取り戻そうとしますが、それは将也が起きなければ贖罪のしようのないもので、取り返しのつかない事をしてしまったというどん詰まり。
そして、将也がこの世からいなくなってしまう夢を見たことで、ついに謝ることもできなくなってしまったと感じ、走り出したものの、どうしようもなくて、後悔と罪悪感で泣き崩れてしまいました。
この時点で硝子が将也に向ける感情も罪悪感と贖罪に変わります。

・「君に生きるのを手伝って欲しい」の意味。

そして、目覚めた将也は硝子を発見するのですが、「君のことを都合よく考えてた」と言ったように、将也にとって硝子は贖罪すべき相手で自分は罪を償わなければならないと考えていたことを伝えます。
最悪自分が死ねば償いになるというか。
映画を観ていてそれまでの二人の関係はどこか歪な感じがしたのはこのせいだと思います。
ただ、二人は今までの関わりあってきたことでお互いに特別な感情を抱き始めていたのかも知れません。
だからその歪さを将也も感じていて、将也と硝子が本当の意味で心を通じ合うためには、加害者と被害者という関係ではその先に行くことができないことに気づき、罪悪感と折り合いをつけようと決意するのです。
また、おそらく今回の事件で硝子も自分に対して罪悪感を抱いているのではないかと感じています。
そんな二人の関係に対し、将也が見つけた答えはとても簡単な事で、とても難しい事でした。
「君ともっと話しをするべきだった」「夢の中で君と沢山話をした」と言ったように、自分達は心から話し合って対等な立場でお互いを理解することが必要なのだということに気づいたのです。他人と向き合うことができない人間が、あなたときちんと向き合うべきだったと認める訳ですから、とても強い覚悟があることが伝わってきます。

ただわかりあったところで、二人の弱い部分は解決していません。
だからこそ、将也は硝子に対し、これから共に歩む者として「君に生きるのを手伝って欲しい」と伝えたのだと思います。
あなたと一緒に生きたい。これって告白ともとれるし、硝子を救う言葉でもあると思います。なんとも将也らしい言葉だなと思いました。
かーらーの!それに対して、硝子が手話で応えるのがまたいいのですよ!
やっと伝わったね!良かったね!
こうして、お互いに支え合う関係に二人はなったわけです。

・将也が泣いた理由

ただ一つ。将也には宿題があります。
それは、硝子を助ける時に神様に、あと一振りの力を貰う代わりに、今まで怖くて目を背け、耳を閉じてきた他者や社会、世界と向き合うことを約束していたことです。
なので将也は文化祭に行く前に鏡の前で、目を背けてきた人達と話す練習してるわけです。
でも、人と関わる事への恐怖やトラウマは治っているわけではありませんでした。そこに気づき将也の手を引く硝子のシーンは二人の関係が変わったことをよく表しているなと思いました。
でもやっぱりいざ教室に入ろうとするとトラウマスイッチがオンになってしまいます。

そして、トイレに逃げ込んでしまう将也に、神様との約束を果たす、世界と向き合う勇気ときっかけを与えたのが永塚です。
お前はなんていいやつなんだよ!最高かよ!
そしてそれを皮切りに他の仲間たちも将也を迎え、将也の背中を押します。
ここで重要なのはこの仲間たちは硝子がもう一度繋ぎなおしたからこそ将也ともう一度繋がったのです。
あの時硝子が頑張っていなかったら、ここまでのハッピーエンドではなかったのかも知れませんね。

そして最後、勇気を振り絞って、他者や世界と向き合った時、人の顔に張り付いていたバッテンマークが一斉に剥がれるシーン。
今まで自分が拒絶してきた世界に彼の居場所、心の拠り所はありませんでした。
恐ろしいと思っていた世界に、勇気を持ってみずから歩みを進めた時彼が見た風景は友達であり、家族であり、好きな人であり、幸せな光景でした。
それは自分の居場所というものです。
初めて自分はここにいていいのだという安心感で将也は泣いてしまったのではないかと思います。それはまるで産声のような。

・植野というもう一人のヒロイン。

植野が「私と石田って似てるよね」と言ったのは、自分が加害者で相手(将也)への罪悪感を抱いていて、それを払拭したいと思っているところが同じと感じたのでしょうか。
また、植野はいつも「ごめんなさい」しか言わない硝子に対してディスコミュニケーションを感じ、苛立ち、硝子のことを嫌いに思います。
ただ、重要なのは植野は対等な人間として硝子を扱っているということです。
一人の人間として硝子のことを認め、その上で真正面から「あなたが嫌いだ」と伝えます。
しかも硝子が耳が不自由ということをわかっているので、きちんとそれに配慮もしているのです。この娘は凄いな!と思いました。
自分の不幸に甘えるな!もっと私と話をしろ!と伝えていたあたり、将也や硝子の歪な関係を解決する糸口にすでに気づいていたのですね。

・最後に

ストーリー、作画、演出、キャストの方々の演技、その全てが高レベルで「とんでもない作品を見てしまった」と思いました。
本当に素敵な映画なのでまだ観ていないか方はぜひ観に行ってみてください。
ピースサインを横にして「またね」は日常でも使えるなと思いました。手話をジェスチャーとして日常で使ってみるというのはどうでしょう。
山田尚子監督の前作品「たまこラブストーリー」もとても面白いです。ブルーレイ買って10周くらいしましたw

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