趣味が長続きしない理由を考える

趣味が長続きしない理由を考えてみた。
答えは自分が「快楽主義者の怠け者」だから。と考える。

趣味を山登りに例えて考えてみよう。


1#登る山を決める。

ギター、絵、筋トレ、読書、映画鑑賞エトセトラエトセトラ
ギター弾けたらカッコいいな。こんな絵が描けたらなぁ。趣味を始める場合、多くは憧れから始まる。そして大概目標はエベレストのように高く、意味もなく自信に溢れている。

2#登山開始1~5合目

勢いで初心者用の道具を買い集め、いざ始めてみると、ある程度のところまですんなりと上達する。俺、才能あるかもしれない!
この時点、すごく気持ち良い。僕気持ち良いの大好き!
てな感じで上達すると気持ち良くなってますますのめり込む。のだが…


3#5合目~8合目

ある程度続けていくと、ある日突然努力しないと乗り越えられないハードルにぶつかる。坂が急になり険しくなってきた。
Fコード、人の手が描けないとか、初心者ハードルの筆頭ではないだろうか。
さぁここからは苦しい上り坂の始まりだ。
登れども登れどもゴールは遥かに遠く、歩みは遅々と進まない。
全然上達しないし、上達するために凄く労力かかるし。
ここら辺で、気持ち良くなりたいだけの怠け者の我々にとって趣味は苦行と変わる。気持ち良くない!辛い!
歩みを止め、あるものは別の山を探し始める。

これが趣味が長続きしない理由だと思う。
努力してまでたどり着きたいとは思っていないのよ。
気持ち良くなりたいだけなの!それだけ!

では、ここで諦めずその先に進んだ場合はどうなるのか。

4#8合目~山頂

真の趣味人やプロ、山の下から我々が憧れながら眺めている者達の領域だ。
山の高所の空気は薄く、険しさを増すように、趣味も上達するために更に努力が求められる。
しかも高山病があるように、いくら好きでも才能の無い者はその先に進むことができない。
達人が日々努力とかいっているのを聞いたと思うが、山頂に近づくことはできるけど決して山頂にはたどり着けないのではないだろうか。と思う。
気持ち良くなりたい怠け者がいることを許されるわけがないのだ。

怠け者の趣味の付き合いかた。


では快楽主義者の怠け者の我々はどのように趣味と向き合うべきか。
映画「ファイトクラブ」で熱中してることは?と聞かれ、消費かな?と答えるシーンがあった。
これ俺のことだ!と身につまされたが、自分は本当は何にもしたくなくて、映画鑑賞とかアニメとかゲームとか誰かが作ったものを消費するだけの日々。
 
消費が続いている理由は、楽だから。それだけだと思う。
生産は面倒だし辛い。て言うか仕事や学校の勉強とか生産的なことをしまくっているのに、何で自分の時間でまで生産的なことしないといけないんだよ!とも思う。

それなのに。

それなのに憧れてしまう自分がいるのだ。
何かやってみたいと思う自分がいるのだ。

でも消費者の自分が生産的なことをしようというのだから、正攻法でやっても絶対無理!

どうすれば続けられる?

とことん自分に甘くしないと続けられるわけがないんじゃねーの!?

と言うことで以下のことが我々のような人種に必要なのでは無いだろうか。

1.自分に才能はないと認める。

どうせ才能無いんだから、伸び悩んで当然。そう考えられれば全然上達しなくても苦しくない。

2.目標は超低くする。

1日に100メートル進むのは難しいので、1日1歩だけ。1ミリだけ前に進むことを目標にしてみよう。
1小節だけ弾けるようになるとか、簡単にクリア出来そうな目標だけを立てることで、気持ちよさを維持したまま上達することができるのだ。
また、それに躓いたら才能無いからなーと更に目標を下げてみれば良い。

3.1日1分以上やる。すぐ取りかかれるようにしておく。

1回やらないと絶対フェードアウトすることが目に見えるのでとりあえず触るだけでも良いので趣味をする時間を作ろう。
道具の出し入れが面倒と思うと手をつけなくなるのですぐに始められるようにしておくべきだ。
ギターならケースにしまわずに出しっぱなしにしておくとか。絵なら紙とペンを机の上に置いておくとか。

4.それでも嫌になったらさっさとやめる。

どうせ趣味でやめても誰の迷惑にもならない。つまらないことを続けても良いことはない。

何もやらないよりはマシくらいの気楽な考えで良いんじゃないかな?
どうせ、趣味なんだし。

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